2016年08月27日

高畑淳子さんの真摯な言動に胸が痛む

高畑裕太容疑者の犯行は非常に悪質であり、被害者の心情を察するとやり切れない思いがある。私にも年頃の娘がいますから、こういう事件が起こるとどうしても娘と重ね合わせてしまう。

同時に、加害者の親という立場を我が身に置き換えて見てしまう。私だけでなく子を持つ親なら誰もが同じ思いだと思う。

もし、我が子が加害者になったら・・・

親として何を思い何をするだろうか?

当然という言い方が正しいかどうかは分からないが、やはり親としての責任を感じざるを得ないだろうし贖罪の日々を送る事になるだろう。一方で罪を犯した我が子への愛情が消え失せる事もない。そういう葛藤の中で生きていく事になるのだろう。

子供の犯罪によって親の責任が問われたり親自身が責任を強く感じるというのは日本特有のものかもしれない。前述のようにこれが正しいのかどうかは分からないが、そうあるべきだというのがこの国ではコンセンサスになっているし私自身もそのように刷り込まれた価値観が身に染みついている。国によってこういうケースのコンセンサスは大きく異なるのも事実だ。

高畑淳子さんの謝罪会見を見ていて胸が痛んだ。我が子がこんな犯罪を犯すなんて想像もしなかっただろうし「いったい何が起こってるんだ?」とパニックに陥るのが普通で、感情の高ぶりを抑える事が出来ずに取り乱してしまう人が大半だろうと思う。

しかし、彼女はこれ以上は無いといっても過言ではないほどの真摯な言動に終始した。本当はパニックに陥っていただろうし、多分、自分に向けられた質問も受け答えも記憶に残らないほどの極限状態だっただろう。こういう状態の時にはその人の本性が出るものだ。

このような事件が起きると加害者家族、特に親に対するバッシングがネット上に溢れ大荒れになるのが普通だが、今回は加害者家族に対してではなく愚かな質問を投げ掛けるマスコミに対して炎上している。

被害者、そして加害者の親・家族を思うと胸が痛むが、ネット市民達の世論の公平さに胸が熱くなった。

マスコミは昔から自分達の描きたいストーリーに向けてシナリオを作りバイアスを掛けるというスタイルで世論を誘導してきた。

しかし、インターネットの普及によって彼らが作り上げる『世論』への誘導が簡単には行かなくなったのではないかと思う。

彼らの恣意的な思惑や傲慢さ、そして信義に悖(もと)るシナリオがネット市民によって暴かれるご時世になった。以前は一つの出来事に対してマスコミ報道や新聞などの記事に誘導される計意向が強かったが、インターネットを通じて多様性のある考え方・意見を目にする機会が増えた事で、より的確な世論が形成されつつあるように思う。

新たな検証機関が登場したようなものだ。

メディアを通じて世論形成を行い平和を脅かす存在を駆逐し排除する。そういう方向に発展して行く流れが出来つつある。もしかしたらネット市民が世界平和のメシアという存在になるのかもしれないと密かに期待している。
posted by 管理人 | ■ 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする